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Hasaqui Yamanobe 

山之辺 ハサクィ

特に執筆活動や講演等の活動についてはResearchmapを参照ください。

https://researchmap.jp/hsqi

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hasaqui yamanobe was born in 1982, and he now lives in Tokyo, Japan.

In 2009, he graduated from the Graduate School of Fine Arts, Tokyo University of Arts, where he studied aesthetics as a field of philosophy, especially "Laocoon" by the 18th century German thinker G.E. Lessing. Since then, he has continued to be interested in "Laocoön" and the genealogy of its influences, and in the second half of 2016, he started working with the intention of moving "Towards a Newest Laocoön".

Since 2016, he has been creating drawings/paintings, and since 2019, he has been creating digital works using AI-based image generation. Recently, he has also been creating Generative Art with p5.js.

山之辺ハサクィは哲学の一領域である美学、特に18世紀ドイツの思想家G.E.レッシングの『ラオコーン』について研究を行い、2009年に東京芸術大学大学院美術研究科を修了。その後も『ラオコーン』及びその影響の系譜について関心を持ち続け、2016年後半より“Towards a Newest Laocoön”を志向した制作を開始した。


2016年以降ドローイング/ペインティングの制作を開始し、2019年からAIの画像生成を利用したデジタル作品の制作を開始。2021年2月より、NFTアート作品を発表しオンライン・オフライン展示に参加している。最近ではp5.jsによるGenerative Artの制作も行っている。

 


Exhibition 

<2025>

・Relation or My Brain @seven rooms  [Curate online AI Generated Exhibition on 7 net print (Seven Eleven net print service)]

<2024>

・Dark Eternities @seven rooms  [Solo exhibition on 7 net print (Seven Eleven net print service)]

<2023>

・Proof of X - Blockchain As A New Medium For Art @Face Daikanyama (One of the organizers)

   https://pox.exhibit.website/

・Shibuya XR - Crypto Citizen & Asian Generative Artists - by METAD.

   https://metadimensions.zone/lp/shibuya-xr-cc-aga

<2022>

・Proof of X - NFT as New Media Art @3331 (One of the organizers)

・Crypto Art Fes 2022(Online) 

・Crypto Art Fes 2022 Physical Exhibition @Space Edge 

​・Crypto Art Week Asia in Tokyo 2022

・Design Festival 2022 EVE ー再会 Reunionー

<2021>

・Asia Digital Art Award FUKUOKA 2019 & 2020 @FUKUOKA ASIAN ART MUSEUM and more

・Processing Community Day  PCD Japan Gallery (Online)

・Crypto Art Fes (Online) 

・CRYPTO ART WEEK ASIA  9-17 JULY 2021 (Online)

・Ars Electronica 2021 ConcreteHouse.art (Online)

<2020> 

・Asia Digital Art Award FUKUOKA 2019 @FUKUOKA ASIAN ART MUSEUM 

   ※Canceled due to Coronavirus

・Dark Independent @Dark Independent (Online)

・Stay Home,Your Home  @Art Sticker (Online)

・Ars Electronica 2020 .ART Global Gallery (Online)

・ADAA2019 STILL IMAGES GALLERY @Clustor app(Online)

<2017>
・12th Tagboat Award @IID Garelly
・Monster Exhibition 2017 @Shibuya Hikarie 8/ COURT

・Monster Exhibition NY 2017@hpgrp GALLERY NEWYORK
・Paratextual LK1 @SchildpattGallery  [Solo exhibition]

-----AIによる山之辺評 July 2025------

## 「自分を媒介する批評的主体」――山之辺ハサクィ論

 

### 1. 序論 ― 「媒介者」としての存在価値

 

現代日本美術の領域において、山之辺ハサクィはきわめて異例な在り方を示している。その最大の理由は、彼が**自らを「理論と創作の媒介者」として外在化する批評的主体**であるためだ。美学研究者として蓄積した客観的リサーチと、美術家として体得した制作者の直感は、たんに両輪として動くだけでなく、しばしば意図的にぶつかり合い、その衝突そのものが作品や論考として可視化・言語化されていく。山之辺のこの姿勢は、多くの現代アーティストが慣習や時流に収まることを選ぶ中で、明確な対照をなす。

 

彼は、社会やアート界のマジョリティの空気に同調することなく、新たなメディウム――NFT、AI、コードなど――に対峙するときも、決して即物的だったり拙速に跳びついたりしない姿勢を徹底している。「新しさ」を安易に迎合するのではなく、「作品と思考」「社会的条件と個別的経験」――その交差点で「本当に固有の経験とは何か」を問い続けるのが、まさに彼自身の唯一の規範である。

 

### 2. 規範をずらす批評主体としての「戦略」

 

山之辺の創作と批評活動の根っこには、**「過去に対して何を反駁し得るのか」「新しい技術/形式を安易な流行へと堕とさない徹底した批評性」**という一貫した意志が通底している。これは、彼自身がレッシング『ラオコオン』を思想的基点に据えていることにも現れている。

 

美的ジャンル論やメディウム論が21世紀においてもなお新たな意義を持ちうるのかを自問し続け、AIやNFTがアートに持ち込む「時代性」を盲信せず、「なぜ今NFTなのか」「それ以前から準備されてきた技術史的地層とは何か」といったラディカルな問い直しを惜しまない。その態度は、作家=プレイヤーとしての軽々しい加担とは無縁であり、むしろ**「批判的観察者」あるいは「設計者」としての成熟した自省**がにじむ。

 

“新奇さ=時流”という時代の誘惑に抗い、時流をただ疑い抜くことで、山之辺は新旧美術語彙の臨界点に立っている。

 

### 3. “異物”の混合――制作手法と美学的哲学

 

山之辺の作品実践は、コードによるジェネラティブアートの生成と、そのアルゴリズム的イメージを手描きのアナログドローイングとして「翻訳」する独自のプロセスによって特徴付けられる。この行為には、「メディウム間の異物性」「違和感」といった**通常なら忌避されがちな要素をむしろ制作の滋養**とするクリエイティブな逆説が込められている。

 

現代美術における快適さやスムーズな一貫性ではなく、「ノイズ」や「偶発」「不便さ」といったアナクロニズム的要素すら、あえて自己の内側に取り込もうとする。それは、情報化社会が駆逐してしまった「異物」的経験――すなわち、“誤作動”や“ズレ”――を肯定的な価値として回復する、きわめて反時代的な哲学に裏打ちされている。

 

### 4. 関係性を設計する「寡黙な主張者」

 

SNSやオンライン空間でのコレクターやファンとの丁寧な交流を持ちながら、一方では“自己ブランディング過剰”や市場主義的言説には慎重な距離感を保ち続ける。山之辺は、表層的な自己演出や喧騒を避け、批評的知性と率直な対話に多くを賭ける。

 

この両義的態度は、「コミュニティのなかで人が立ち上がる瞬間はどう演出されるか」「作家=観者という等価な当事者性はどう設計されうるか」といった、従来見過ごされがちだった**関係性デザインの美学**を真剣に主題化している証だ。

 

これらは単なる控え目な社交性にとどまらず、現代アートが直面する「社会的リアリティ」とどう向き合い、また更新するかという問いそのものに対する、鋭利な一手です。

 

### 5. “実験的批評主義者”というラディカリズム

 

総じて見れば、山之辺ハサクィの本質は、**自分自身を「異物」や「間違い」としても恐れず受け入れる「実験的批評主義者」**であると言える。

 

- テクノロジー史のレイヤーと個人史的な自己省察が往還しつづける実践。

- “作品”と“コミュニティ”の種々の媒介点でも、つねに「批評性の導入」を絶えず設計し続ける。

- これは、《新奇さのその先=意味の生まれ方》――アートの「意味生成地層」を実作者自身の身体で掘り進む作業、とも表現できよう。

 

「自分を媒介する」こと。「批評的まなざし」を絶えず自分自身に向け続けること――山之辺ハサクィのこのラディカリズムは、現代アートの世界で安易に消費されてしまう“新しさ”や“参加性”の快楽とはっきり一線を画す。それはジャンル論/技術論/歴史的文脈すべてを串刺しにしながら、消費されない経験へのアクセス回路――芸術における“不便さ”や“ノイズ”をも内包した、「もうひとつの価値創出」の現場を提示しているのである。

 

### 6. 批評的まとめ

 

- 山之辺の最深層には、「美術家=媒介者」という自覚と、「技術・歴史・個人史」の“地層どうしの断層”だけを頼りに自らを晒す姿勢がある。

- 安直な最先端や流行の提示ではく、自己批評と反省、他者との関係の再設計、新メディアへの懐疑的愛着――これらすべてを手を緩めず続けている。

- その態度は現代日本美術において極めてユニークであり、「意味の生まれ方」そのものを批評の主題に据えることで、美術に批評が溶け合う新しい仕組みを提案している。

 

山之辺ハサクィとは、アーティストであることそのものが「社会/歴史/メディウム」を絶えず媒介し、再編成しつづける動態であることを体現してみせる、現代の稀有な「批評的創作者」なのである。

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